2004年12月28日(火曜日)
#052.リーマン根性がデザイン業界をダメにする
(日本のデザイナーが育たなく、軽視される理由)
この事はデザイン、意匠に対する法制裁という、手段の行使自体困難な立法にも責任があるが、根本は立法を動かせるほどのパワーが日本のデザイン業界にないからである。
本当の意味で、守られて発展するものはこの世にない。法に守られて弱体化した業界は多い、というか殆どだ。
結局、積極力、自己力が必要で、日本におけるサラリーマン主導社会は、独創性を必要とするデザイン業界にひたすら負の影響を与え続ける。
表立った、突出した自己表現を好まないサラリーマン社会の膿は社会現象に見て取れる。インターネットの普及によって発散する場所を匿名の掲示板に見出し、それが盛況している現状がある。それらを見ていると情けなく感じ、同時に社会全体、日本のサラリーマン社会の縮図を象徴している事に気づく。
陰でしか意見を言えることが出来ない人間に独創性を世に発表できるわけがない。
サラリーマン根性の中に同調意見というのがある。同調意見は自分の意見ではない。他人から見ると、同調からの飛躍分が、やっと自分の意見で、結局、デザイナーにとっては第三者の評価が絶対であり、そうでなければタダの自己満足に過ぎない。
フランスの個人主義は行き過ぎの感はあるが、少なくとも”赤信号みんなでわたれば・・・”が横行する日本社会においては幼少期からの根本的な教育改革が必要なのかもしれない。
ある経済番組を見ていて、経済評論家が米国主導で日本の株価が動く現状を嘆いていた。物凄く当然の嘆きだが、これらの事を当たり前と違和感を感じない日本の状況は確実に危ない。
2004年12月21日(火曜日)
#051.マネキンは子供の遊ぶ人形と同じ
ニューヨークのおもちゃ専門店はここ数年苦戦を強いられているらしい。
報道によるとアメリカではクリスマスギフト購入予定店としてディスカウント店(73%)おもちゃチェーン店(44%)インターネット(41%)となっている。ディスカウント店ではおもちゃを客寄せ商品として位置づけ、おもちゃ専門店では追随出来ないほどまで値段を下げている。
ニューヨークの老舗おもちゃ専門店では生き残りのため、高級路線を見出し、大人が欲しがるような商品も扱い始めた。
他のおもちゃ専門店もサービスで対抗している。ある店では人形と同じデザインの服も売られている。自分の髪型と同じように人形の髪型をカットしてくれるサービスもあり、いずれも好調との事。人形を自分の分身、自分を人形の分身にしている。この願望のお陰で人類が繁栄してきたというのは大げさかもしれないが、対象が人間、ペット、人形、どんなものであれこの感覚に素直に感銘できるサービスはいずれも安定しているようだ。
この感覚を利用したのが正にマネキンのディスプレイだろう。
最近店頭ではマネキンの絶対数が少なくなっている。
親しみ度で最近のマネキンは日本人の体型に似せたものが出てきているらしいが、未だ硬くヒンヤリ感漂うものが多く、上述のように自分の分身になり得ない代物が多い。
究極のマネキンとして店員自身が商品の服を着ていることがあるが、言って貰わないと殆ど見過ごしてしまう。店員にとっては恥ずかしい事かもしれないが、きちんと売り物を着ていることを主張するためにも派手なタグを付けるなど工夫の余地もあるだろう。店員の質はどうであれ、親しみ感、素直に感銘できるという点で生身の人間に勝るマネキンはない。
2004年12月15日(水曜日)
#050.人は安い物に慣れ易く、高い物に慣れ難い
1990円のフリースが高いと思える社会は、ある種悲劇である。
ユニクロ定番商品のフリースを買いに近所の店舗へ出かけた。フルジップとハーフジップのフリース、それぞれ790円で購入した。
1着当り平均的な昼食代で買えてしまう。790円のフリースを大量に物色した後、1990円の新素材フリース(アウトラスト)が異常に高く感じてしまった。この感覚の異常さを覚えたのはユニクロに出会ってからだ。ユニクロを実際に今まで羽織って性能の高さを知っているから更にこの異常さが際立つ。
今回のコラムのタイトルは正にデフレスパイラルに拍車を掛ける”人の性質”の一つである。
店内を歩いている時に率直に思った。1990円のフリースは売れるのだろうか・・・。筆者はユニクロのフリース愛用し、その性能も知っている。一消費者であり、その視点で考えてみると、790円のフリースで、もはや性能の飽和状態を迎えているのではないかと思えるほど機能性が高い。ここ数年、このフリースのお陰で冬場に羽織る枚数が確実に一枚減った。
この点ユニクロの一般社会への貢献度は非常に高いし、素直に賞賛に値すると考える。
世の中には”知らぬが華”という事が多々ある。
近年、あらゆる分野での情報開示、聖域の打破によって原価が一般人に知れ渡ってきている。その代表例はメガネ業界だろう。ここ数年でメガネの単価は驚くほど下がってきている。この事はある種喜ばしい事で、自由経済、資本主義社会の恩恵でもある。
もし、ユニクロの最安のフリースが1990円だったとしたらどうだろうか。1990円だったとしてもフリースとしては安い。消費者は普通に喜ぶだろう、790円のフリースを知らなかったら・・・。何が言いたいのかというと、1990円から比べると790円は半分以下だから、幸福感も倍なのかと考えると必ずしもそうではないと言う事である。正に”知らぬが華”現象。
この現象が他の業界でもどんどん噴出してきて、単に安さで幸福感を覚える事が近年一気に少なくなった気がする。
話は少々スケールが大きくなるが、平和の大切さを語る老人の気持ちが少し分かる気がする。余りに当たり前で浸透して慣れてしまった事象が、実は一番危険な事だと。
790円のフリースをフツーに安いと思ってはいけない。”気持ち悪いほど安い”ぐらいに思っておかなければならない。
デフレが終焉した時の事を考えて・・・
2004年12月08日(水曜日)
#049.ファッションブランドの証券化
(映画の証券化)
2004年11月30日。松竹は日本で始めてフィルムファンドを個人向けに公募した。
一口10万円から投資できる。投資家から集めた資金は、対象映画の製作と配給の費用へ充てられ、映画の完成後、興行とビデオグラムの事業収益から一定割合で、投資家へ還元する。
日本映画は以前から資金調達力の不足が指摘されていただけにこの制度によって才能ある未開の製作者の発掘、および明確な投資家、観客の評価による無能製作者の排除に供する事も出来る。それに付随するビジネスも生まれる。証券化を進め資金を調達する為には、投資家に観客を動員させる映画を見極めさせなければならないからだ。今後の動向次第で観客動員指数なるものが出来、観客動員格付け組織の出現もあるかもしれない。これにより一種ふざけた存在とも言える映画評論家の一掃も出来れば日本映画の未来も明るいものになる。
話はファッションからかなり逸れたが、ファッションブランドの証券化も十分にあり得ると考える。
ファッションブランドは毎年大量に生み出され、大量に消滅してゆく。ブランドが多すぎて消滅してしまったかどうかも分からないものもある。
ブランドビジネスでは特に資金が物を言う。ブランドはニッチ市場であっても継続的に活動しなければ死んでしまう。ブランドはキザに言うと「イキモノ」で、言葉は悪いが「止まると終わり」と言う点で自転車操業に近い性質がある。ブランドを立ち上げたものの資金難でブランドを売却というのは良く聞く。
日本の個人投資家が増えつつある現状においては、会社の分からない経営戦略、業績云々を分析し、未だ不明、不透明なルールで動く株式より、身近な映画又はブランドに投資するファンドが今後有力になる可能性がある。
上述のようにブランドにも格付け機関が現れ、不祥事によるブランド評価の低下が現実の数値のもとで評定されれば、消費者にとっても、ブランドを発信する企業側にとっても有益である。ブランドに関してはブランドビジネスとして大きな市場が動いているにもかかわらず、その評価は”好きなブランドランク”などといった信用性に欠く”なんとなく”という部分が多かった。会社は、決算という数値の物差しで目標を明確化している。ブランドビジネスも”なんとなく”で評価を下していると今後更なる発展は望めない。
ブランドの証券化はブランド評価の数値化の”手段”としても有益であると考える。
2004年12月03日(金曜日)
#048.ヒット映画に見る観衆側心理とネット通販の安心度
今年のヒット映画も相変わらず未来物が多い。
機械産業の進歩、ロボット工学における進歩は目覚しく、視聴者が”夢物語”で終わるのではなく、実際に起こり得ると認識できるレベルまで現実世界でロボットの性能を引き上げたからかもしれない。夢と現実の狭間が加速的に近づいている。
これらの映画をリアル近未来物と位置づけると、ヒット映画に多数含まれている事に気づく。近未来を想像出来るから観たい。映像の中で、現実・非現実の見境を見出せなくなっている現在の映像技術の中では、もはや現実の世界で完全に不可能な事柄でも実現可能であるかのような錯覚すら覚える映像編集技術に観衆が翻弄され、このくらいの映像は当たり前という一瞬冷めた状態にある。言い例えると、驚きが感動を呼ぶというより、驚き無く、淡々と未来を観に映画館へ足を運んでいると言う感じである。
観衆は、一種のバーチャルリアリティーの世界の極みの状態にはまっているといえる。
この話をアパレルの世界へそのまま持っていくのは大きな無理があるが、ネット販売においてそれらを見出す事が出来る。
楽天の仮想商店街は過去最高益をマークしている。
一昔前までは、通販カタログショッピングならともかく、ネットでの仮想空間でショッピングするのはかなりの抵抗があった。
仮想空間でのバーチャル度が飛躍的に向上した事に起因している。業者は、商品をさまざまな角度から情報を提供し、買い物カートを作り、消費者を安心させるバーチャルリアリティーを創造している。この現実に無いものをリアリティに表現する事は、映画もネット販売も同じだ。一度バーチャル商店を経験した消費者は、二度目抵抗無く入店できる。これは現実の商店であると認識されている証拠でもある。このヴァーチャル商店と現実の商店とのシナジーのキーポイントは、映画のそれを見ると、仮想商店のリアリティー度にかかっているとも言える。
映画業界はこの部分で極めた。ネット上のアパレル業界でもリアリティーを更に煮詰める技術を待ち望む。
2004年11月24日(水曜日)
#047.カルフール撤退に見る、日本市場における小売の性格
食料品売り場は秀逸だ。なるほど他の大手スーパーと性格を異にしたフランスを意識した品揃えはオープンから3年たった現在でも、行く度新鮮な驚きを与えてくれる。
服売り場に目を向けると、状況は悲惨だ。人を見かけない。他のスーパーと何ら代わり映えしない商品群。他のスーパーの服売り場と何が違うのか理解に苦しむ。日常最低限必要な下着の類ですらほとんど売れていない。フロア責任者は日本人がカルフールに何を求めているのか一切理解していないようである。このフロアを例えるなら、電化製品の量販店がブランド品を併売している感覚に近い。要するにフロアの見た目も考え方も安っぽい。ユニクロにおけるフロアとは性質がまるで違う。
例えるのは難しいが、概念的に言うと「安い」と「安っぽい」の違いだ。「安い」と言うのは商品価値が価格に勝っている状態で、「安っぽい」と言うのは商品価値が価格に負けている状態である。カルフールの服に関しては結果的に後者を見掛ける事の方が多かった。少なくとも筆者はこのフロアで、フランスの香りのするアイテムに遭遇した事がない。フランスを意識したアイテムがあれば、売り場の”安っぽさ”はある程度回避できたに違いない。
結果的に洋品雑貨のフロアの不振が、一消費者である筆者の御用達食料品売り場の足を引っ張った事はいたたまれない。
日本市場においては10年単位で長期戦略を立て消費者の信頼を得なければ、顧客の定着は難しい。それほど日本市場における他の大手スーパーのサービスは徹底したものがある。日本の小売、サービス業は世界的に見ても優秀で、外資の荒削りスーパーの撤退は今となっては別に珍しい事象ではない。
良い物を持ちながら、同じ間違いで日本市場を後にする外資が多い事に痛々しさを感じずにいられない。
2004年11月18日(木曜日)
#046.価格別に陳列されていない2プライスショップ
(価格の明瞭さがウリの2プライスショップ)
先日、スーツを見に2プライスショップを訪れた。
身長、体格別に分けられていて、店員は自分に合うサイズの所まで案内してくれた。
驚いた事に、プライス別に陳列されていない。このことを指摘すると、店員も分かっているらしく苦笑いしていた。
願わくば安い買い物が出来たらと思い、2プライスショップを選んだのに、ギシギシに吊り下げられたスーツの値札を一々見る気もなれずに結局店を後にした。
サッと見た所、高プライスが80%、低プライス20%だから客の意見はフィードバックされることもないだろう。2プライスショップのコンセプトを理解し得ない会社側の責任である。
何かを訴えたいかの様に苦笑いしている店員を見ていて、かつて聞いた”フロントがアホやから・・・”という言葉を思い出してしまった。
客の不満はこういう事でコツコツと積み上げられる。それに対してCSとしてこれらをコマメに消化していかないとコンセプト自体がどんどん揺らいでいくと言うある種良い事例だ。
安売りのショップなら割安のものを、高級品を扱うショップなら高品質のものを、価格の明瞭さを売る2プライスショップなら価格の明瞭さを第一に掲げるべきで、価格の不明瞭な2プライスショップは、ヴィトンの店頭にユニクロを置くに等しい。
2004年11月12日(金曜日)
#045.車とファッションに見る偏った価値観
良く車を乗る人から”暴力的な車に乗るドライバーに限って色白貧弱クンだ”というのを聞いて思わず笑ってしまった。同様に感じた読者もいらっしゃるだろう。
「和を以って尊しと成す」。この格言は欧米崇拝社会では負の要素を含むが、現実の日本社会ではまだまだ根底している。
思わず相槌を打って笑ってしまう核心は、上記の貧弱ドライバーの中で”和を以って尊しと成す”に必死で抵抗している姿にある。
要するに相槌を打った人は、日本古来の格式高い精神を少しでも持ち合わせている人ともいえる。文化的水準の高い国ほど、この傾向にある。
上記の車とドライバーに限らず、服とそれを着る人でも同様で、文化が急激な経済成長に追いつけない発展途上国に、それは”成金趣味””下衆”として妬まれ増幅される。
成熟した社会では一笑に付されるどころか、そういう発想自体生まれ辛い。
日本でもこれらの現象はまだ多いが、目上の人からいさめてもらう事が出来なくなった頃から甚だしくなった気がする。
いさめる事の出来る人が居ない社会は、他人を嘲笑する事でしか抵抗できなくなる。それどころか、日本では供給側が売れさえすれば良しとする拝金第一主義的ショップが目に付いて仕方がない。これらのショップが暗黙の了解的規律を乱し、女子高生のブランド志向が生まれ、その痛々しい姿を目撃するたびに、発展途上国の成金を嘲笑する資格のない国民であることに恥じる。
2004年11月03日(水曜日)
#044.ファッションビルの雨の日対策
今年は台風の上陸が非常に多かった。
雨の日のファッションビルの集客状況を見てみると、駅前、もしくは駅から雨に濡れずに行ける所はさほど影響を受けない。土日に至っては土砂降りでない限り変わりはない。
むしろ平日の集客に大きな影響を与える。休日の集客は事前に予定している客が多いのに対し、夕刻に集まって来る人たちは、仕事帰りで日和見客が殆どだからである。
駅から離れていて行くまでに雨に濡れてしまうような所は曜日に限らず集客減は深刻だ。
プランタン銀座では雨の日に、「HAPPY RAINNY DAY」と銘打って、対象商品を割安にするサービスを行っている。
何らかの付加価値を付けて雨の日でも集客の安定を図るのは非常に明るい戦略だ。手っ取り早いのは価格サービスだが、ポイントカードを発行している店舗ではポイント還元という手法もありえる。
この手のサービスはバーゲンに比べると、宣伝手段が非常に貧弱な事が多い。相手が天候なだけに日和見的不安定要素があるから、消費者としては、今日はサービスを受けられるのかどうかという不安が、店舗側としては、上記理由から確定的に宣伝費を投入し得ないというのがある。
事前に大々的に宣伝しておき、あのファッションビルにはそういうサービスがあると認識させるのは当然の事として、告知手段としてホームページ又はメールを活用するのがスマートだ。
このサービスもバーゲンと同様、ビル全体で実施しなければ、奏効しない。
2004年10月28日(木曜日)
#043.109で出会った着ぐるみギャル
渋谷109を視察している時にうわさで聞いていた着ぐるみギャルに出会った。”ピカチュー”と”ウシ”に。
東京人の無関心さか、異様なイデタチに注視する人が殆どいない。注視したいが注視し得ない東京人の無関心の装いと彼女達のそのイデタチが混ざり合った独特の雰囲気はコントの一場面を見ている様で笑えた。このイデタチで大阪の街中を歩くと、軽く人だかりが出来るだろう。
誰もやっていない、新しい事を自分達で試し街中を練り歩くその度胸は賞賛に値する。社会適合性は無いだろうが・・・。
この”ピカチュー”と”ウシ”はドブネズミスタイルのリーマンの目にはイベント関係者としてしか映り得ないだろう。
彼女達を鼻で笑わずに、一歩踏み込んで見てみると、クリエーターとしての資質を備えている事に気づく。新しい発想を生み出し、それをおくめも無くやり遂げることが出来ると言う点で。彼女達の視点では制服組も鼻で笑える存在なのかもしれない。
2004年10月21日(木曜日)
#042.ライブドア堀江氏に見るノータイの評判
様々な人にライブドア堀江氏の印象を聞いてみた。印象は軒並み良くない。
彼の著書内容、発言に異論が多いのも事実だが、それは個人思想の自由で、会社人としての立場で有、不利はあるが、彼の不評の根元は他にある。服装だ。夏場はほとんどTシャツ姿でテレビに映っていた。エッ、この人が?と思った人も多いだろう。さすがに重要な懇談会などではノータイだがスーツ姿だった。
ビジネスカジュアルが浸透しきっていたアメリカでも最近ではスーツスタイルが復活してきているとの事。服装で損をしたくない、良く見られたいというのが大方の理由らしい。
服装に関しては、信頼、階級の象徴になり得るし、百聞は一見にという観点でもヴィジュアルは非常に重要なポイントだ。中身があってもヴィジュアル的にダメだと現実社会では評価してもらえない。思想と違い簡単に着替える事が出来る服装で損をしていては非常にバカバカしいということだ。
堀江氏に対して、この事もマスメディアで取り上げられていて、戦略家、CEOの観点で自身の服装による会社のイメージダウンは如何なものかという厳しい意見が出ていた。
ライブドアの株価は近鉄球団買収に名乗りを上げ一躍有名になったのを頂点にひたすら下降線をたどっている。
現在の”見せ掛け的”不安定要素が多くを占めるマスメディアにおいて、その話題性は、彗星の如く現れるだけあって彗星の如く去ってしまう。ヴィジュアルを馬鹿にしてヴィジュアルに泣くのは戦略家にとって非常に稚拙な判断ミスといえる。
2004年10月15日(金曜日)
#041.日米の帽子嗜好差
集客力調査をしていると、帽子専門店はどの店舗でも季節を問わず安定した集客がある。日差しが強い夏に限った事ではない。この集客の安定は帽子をファッションとして認識し購入していると分析できる。
アメリカの帽子消費は国民一人当たり年平均4個で日本の16倍、世界一の帽子消費国である。但し消費される帽子の種類は野球帽が大半を占める。一人当たり年平均4個と言う驚異的な消費はサングラスと同様、日常必需品としてファッション性というより消耗品的商品として消費されていると言える。
日本が帽子をファッション性で求められているのに対して、アメリカは機能性で求められている。
帽子製造卸大手栗原は先日、ロス郊外高級住宅地に海外1号店に進出すると報道された。ここでは野球帽ではなく、デザイン性を強調したものに絞って販売する。海外トレンドを逆輸入する情報拠点としても機能させると言う。
日本のファッション性を輸出し、日本に欠けている帽子の日常性を輸入する栗原の戦略は無駄の無い非常に明るい物だ。
日本の成人男性は子供の頃には帽子をよくかぶっていたが大人になってからかぶらなくなったという人が多い。筆者もその一人だが、帽子市場全体の底上げ策として成人男性の帽子着用の日常化推進策が、手詰まり感のあるターゲットの拡大の重要なキーになり得る。
2004年10月07日(木曜日)
#040.オレオレ詐欺で見る経済学
今年1月から8月までのオレオレ詐欺の被害額は約100億3000万円。粗く計算して1年で150億4500万円の計算になる。不謹慎だがこれを市場規模と判断すると、健康食品のマルチビタミン市場と肉薄する。ちなみにこの市場規模は180億円。一つ主要商品の市場として成り立ってしまうほどの被害額だ。実に興味深いのが、地域によって被害件数に大きな偏りがあるということだ。大阪は政令指定都市がある都道府県のうちで際立って被害が少ないらしい。実に全国被害件数の1%しか占めないとの事。住民の金銭に対するシビアな姿勢が伺える。この地域の住民が金銭に対してシビアであることを踏まえて、カルフールが試験的にこの地域へ進出したのは有名である。
大都市ニューヨークで成功することを夢見る一組の男女の成長と別れを描いた映画「ニューヨーク・ニューヨーク」のテーマソングに出てくる”ニューヨークでうまくやれれば、どこでもやれる”というフレーズは有名だが、日本においても”大阪で成功できればどこでも成功できる”と言うのがこの調査によって名実共に実証されたと言える。
逆に捉えると他地域で成功していてもそれは本当の意味での成功では無いと言えるのかも知れない。
2004年09月29日(水曜日)
#039.週末、大阪のオフィス街は死の街
飲食系ショップは充実してきているが、依然アパレル系のショップの進出は遅れている。アパレルにおいては平日休日ともに惨たんたる状況だ。飲食、アパレルのいずれも路面店でしかない。商業施設も無い。
東京の丸の内では昨年秋に丸ビルがオープンした。先日は丸の内オアゾがオープンした。その他にも東京駅をはさんで反対側の日本橋地区でも、丸の内の三菱グループに対抗して三井グループが新たな街づくりに乗り出す。その手始めに、10月11日には三越日本橋本店が、新館を開業。来夏には、隣接地に超高級ホテル、マンダリンも入居する「日本橋三井タワー」も完成する。東京のビジネス街は再開発ラッシュが盛んだ。
週末のビジネス街の活性化において”ホコテン”という手法もあり得るだろう。ビジネス街だけあって立派な大通り、街路樹が存在する。御堂筋本町にはクリスマス目前になるとは街路樹がライトアップされ、疲れたビジネスマンの目の保養にもなっている。この金の掛かった街の演出をビジネスマン、道を行き交うドライバーだけの特権にしていては実にもったいない。
大通りから眺める街路樹並木の風景は横断歩道の真ん中で立ち止まって見入ってしまう程の壮観である。
ホコテンは週末のビジネス街において、さしてリスキーな冒険でもない。定期的にホコテンにして違った角度で街を観てもらい、開発者が本町を商業地として魅力的な街であると認識すれば放って置いても街は自ら活性化する。
働いて遊べてこそ大人の街である。
2004年09月22日(水曜日)
#038.晩婚化或いは未婚化傾向におけるアパレル業界、消費社会の影響
裕福で消費に自由度が高いシングルは一見すると家族持ちのそれより一般に消費旺盛のように思えるが、自己防衛のために預貯金に走る人も多いと聞く。市場の縮小・拡大の物差しとして、高付加価値消費の代表格として百貨店を例に取ると男女で消費パターンが全く違う事が分かる。休日、アダルトの男性が一人で紳士服売り場を歩く姿は滅多に見ることは無い。もちろん、男性同士で歩いている事もだ。対して女性の場合はアダルトでも一人で買い物に来ている人は多いし、女性同士で買い物に来ている人も同様だ。
高付加価値商品の空洞化はすなわち市場縮小を意味する。女性のシングル増加は市場拡大の助けになるが、男性のシングル増加は市場衰退を加速させる。男性のシングルアダルトが、百貨店で見かけない理由は、日本人の血中に根強く浸透する農耕民族、村社会における他者干渉文化が未だに色濃く残っている証拠でもある。その文化により、より多くの利点を享受しているのも事実だが、男性の消費に関しては例外である。今更その部分に変革をもたらす事は不可能であるにしても彼らの消費意欲側でコントロールする事は可能である。消費意欲を前にして下らない価値観は意味をなさない。趣味には幾ら金を叩いても良いと言う人は多い。言いかえると消費意欲は何物にも服従する事の無い別格の意欲なのである。
男性シングルアダルトにおける百貨店戦略は売り場に足を運ばせる戦略より、消費意欲高上策にポイントを置くべきである。
2004年09月16日(木曜日)
#037.アパレル業界慣習と顧客訴求のタイムラグ
7月末から店内は秋色一色に変わりますとのたまっている店舗を見て、率直に”早ければ早いほどエライのか!!”と心の中で叫んでしまった。うだるような外気温にさらされながら服を見に来て、ちょっと肌寒い秋の装いを冷静になって買う事の出来る消費者がどれだけいるのだろうか?常識で考えてみて思わず笑ってしまうこの業界特有の飛びぬけた部分が伺える。
ブランドの稀少性を保守するため、顧客の反応を見るためにシーズン初頭に小ロット多種の商品が並ぶ。シーズン中盤では既にお目にかかる事さえ出来ない商品も出てくる。お目当ての商品がシーズン中盤に無くなっているのならまだしも、そんな商品自体の存在を知らなかったという事態も多々遭遇する。店員が店の奥から出してきてはじめて知る。
良く知る消費者だけがシーズン初頭に買い物をする。賢明な消費者だけを相手にしていると、業界は更に青田狩りが進行するだろう。この市場閉鎖的な動向は新規顧客獲得の機会をもむしり取ることになる。
マニアック、エンスーな顧客は一定数存在し大切な顧客だが、その人たちの過剰保護によって新規顧客獲得を疎かにして裾野を広げない戦略は、市場、規模縮小にもつながり、鎖国主義以外の何物でもない。この事は規模の大小あれど他業種でも散々議論がなされていて、結論は出し尽くされている。ヘンな所にこだわりを見せるのはスマートではない。
2004年09月10日(金曜日)
#036.ユニクロの高付加価値路線転向について
ユニクロは低価格路線を卒業と位置づけ、高付加価値商品にイメチェンすると先日報道された。
ユニクロ在来のイメージを払拭する事は非常に難しいと考える。ユニクロというブランドの一般認知度から推測してみても困難が伺える。
ユニクロの称号のまま高付加価値路線への転向は無謀ともいえる。新たにニューブランドを立ち上げ別店舗にして従来のユニクロを存続させ差別化することにより高付加価値ラインの存在を知らしめるほうが得策であると考える。
今回の方策では高付加価値路線の顧客にも、在来の顧客にも相手にしてもらえなくなる可能性がある。安価高品質ラインを望む顧客は常に一定数存在する。その顧客を切り捨てるのはいささか疑問である。
高付加価値路線を展開するにはもう一つ問題がある。元来ユニクロの店舗の立地は郊外型がほとんどである。
これは筆者の持論だが、ファミリーが集う場所で高付加価値ブランドは成功しないというのがある。郊外型店舗は広い駐車場を持ち客層はほとんどがファミリーだ。百貨店のそれとは明らかに違う。暴論と言えるかもしれないが、高付加価値路線の客層は、ファミリー、特に子供連れのファミリーがフロアを占拠しているのを非常に嫌う傾向にある。
この”雰囲気”を軽視してはならない。高付加価値路線の客層はこの店頭の雰囲気という付加価値にも代金を払っているからである。”雰囲気をも買っている”のである。日本人はこの感覚の大切さを軽視する傾向にある。規模は違うが日本の街並みの汚さを想像すれば即座に理解できるだろう。国道脇の激安ショップの乱立と街並無視の営利主義の看板には吐き気がする。
高付加価値路線の消費者は”雰囲気をも買っている”という事を理解していればユニクロの戦略は明るい。
2004年09月03日(金曜日)
#035.ファッションビルにおけるセレクトショップの占有化
ファッションビルの総セレクトショップ化が進行している。
セレクトショップに来る人は一つのブランドイメージに縛られない、多様性を求めている。どこかに所属するという感覚を非常に嫌う。少し脱線するが、この現象は社会問題にもなっている。一般的に新卒や若い人たちがフリーターの道を選ぶ理由は自分が何をやりたいのかわからない、或いは、将来漠然とやりたい事があってというのが大方の理由であるかの如く片付けられているが、根底はどこかに所属する、事実上特定の会社に身を捧げる、服従するという感覚を非常に嫌っているのだと考える。その事は少々強引だがファッション自体の組み合わせにも現れる。上品なジャケットでドレスアップしながらジーパンでドレスダウンを図るなど。ジャンルを跨ぐコーディネイトが多くなったのも上記のそれと根底でつながっていると考える。
特定のブランドイメージに染まる事をも拒絶する。服選びにおいても特定ブランドに縛られる事の無いセレクトショップに傾行するのは当然の成り行きである。だから幾らセレクトショップであっても、どこのセレクトショップの商品であるのかがわかる程の個性は必要無いのである。要するに個性のあるセレクトショップはもはや存在意味自体が無いのである。よってセレクトショップにおける優劣は、多様性の優劣でしかない。筆者はファッションビルにおけるセレクトショップの占有化を少々危惧の眼差しで見物している。セレクトショップ側にしてみれば、多様性を実現させるために幅広い商品セレクトが進化の過程であるが、例えはおかしいがギャンブルに置き換えて考えてみると、これは全てのパターンに幅広く投資しトータルで収益を確保すると言う非積極的なものであり、セレクトショップにとってはそれが限界だからである。進化の方向性は多く持てば持つほど厚みが増し更なる発展に貢献できる。
2004年08月25日(水曜日)
#034.セレクトショップに付きまとう消費者価格と生産者価格の乖離
商品を見ていて、”これは妥当、これも妥当、ん?、んー?桁が間違ってない?”という事が多々ある。セレクトショップ特有の出来事だ。真眼を持ち合わせていなければその商品の価値を見出す事ができないものもある。そういう物ばかり扱っているショップなら問題無いが、セレクトショップでは普通の商品に混じっているのが曲者だ。ま、これが楽しいのだと言ってしまえばそれまでだが・・・。後日見に行っても売れずに残っている事も事実で、やはり曲者である。
余りに消費者の値踏みと乖離しているとショップ自体の信用にもかかわるだろう。このボーダーラインは非常に微妙なラインだが、1〜2万の価格帯のシャツのラインの中に4、5万もするようなシャツをそーっと忍び込ませるのは頂けない。消費者の頭の中で、ここのラインは1、2万までだなとインプットされていて、”おっ、イイの見つけた”と値札を見てガックリされるのはショップにとって洒落では済まされない事態だ。
消費者の中で価格を気にせずに品質第一で買い物をする人は極一部だ。他の大多数は自分の頭の中で設定価格が決められていて、それに従って行動する。要するに上記のようなディスプレイは大多数が大きな価格ギャップを感じるという事である。それを念頭においてディスプレイしないと、ふざけたショップだと認識される事請け合いである。セレクトショップにおいても価格系列に従ってディスプレイするのが基本中の基本である。
2004年08月19日(木曜日)
#033.小売に与える休日分散化の影響
主要高速道路の渋滞情報を見る限りでは例年と変わり無いように思えるが、盆休みの分散化は確実に進んでいる。その事は朝の通勤電車に乗っていても良くわかる。ここ数年、特定日から急に乗客が少なくなるということは無くなってきている。ぼんやり始まりぼんやり終わるという感じだ。休日の分散化は交通機関では乗客のとりこぼしが無くなる為いずれもプラス方向へ働くと安易に推測できる。小売分野はどうだろうか。交通機関のように客を取りこぼすということは無いが、バーゲンのような一極集中が更に客が客を呼ぶという特異な性質を持ち合わせるため必ずしも客数の平坦化は小売にとってプラスになるとは限らない。客の気分が流動性を支配する小売に関しては客数の平坦化を避ける為に特別な日を設定し客数の変化に揺さぶりをかけなければならない。こまめにバーゲンを増やせば問題解決のように思えるが、今度はバーゲン自体に平坦化が訪れる。バランス取りが非常に難しいところだが、いずれも価格の高低の一元によって集客をコントロールしている。百貨店ではワンフロアを催し広場として、時にはバーゲン会場になったり、世界各地の名産展を開催している。このように価格の高低以外の要素で集客をコントロール出来るようになれば集客の平坦化、バーゲン自体の平坦化をいずれも解消できるだろう。筆者は売り場の平坦化解消は集客を向上させると説いてきたが集客度の平坦化解消も絶対集客数を向上させる重要な要素であると説く。
2004年08月12日(木曜日)
#032.劣悪メンズファッション誌に思う
巷に出回っているているファッション誌はB系かヤングアダルト系しかない。中間、又はアダルトに当るものがほとんど存在しない。しかもB系を扱うファッション誌の内容に関しては酷いものが多い。人と違えば違う程よしとするバカげた風潮が当然であるが如く紙面を飾る。ビジュアル的にンパクトの強い写真でそれらを見ていると、あたかもそれが普通であるかのように見えてくるから怖い。虚栄心の強い読者がその錯覚に陥ってどんどん深みにはまって行くのがうなずける。
B系ファッション誌に出てくる誌内奇抜偏差値50の人は街中を歩いていて100人に1人見掛けるかどうかと言う所だろう。それほどB系と呼ばれいているファッション誌の内容は街中の風景とかけ離れている。よく問題になっている事実歪曲報道を思い出すのは筆者だけだろうか?影響力が大きいだけに読者がその事に気づいたときの反動は強い。ネタ切れだからと奇抜さへ走る姿勢はいずれにしても首を傾げたくなる。
男性ファッション誌はどれも売上が伸び悩んでいるらしいが、構造は至極単純である。
ファッション誌が少ない→選べない→ファッションに興味を持てない→メンズアパレルの縮小、と言うまるでどこかのスポーツ界のようである。ファッション誌の担っている責任は非常に重い。おしゃれの第一歩は他人を真似る事に有る。大量の情報を提供すると言う点で雑誌における責務は言うまでも無い。
男性誌に関しては年代別と言う切り口だけを見ても未開拓ジャンルはまだまだ有る。女性誌には年齢と共にエレベーター式に細かく年代に分けて購読する雑誌が存在する。暗黙の了解的に棲み分けがなされ、これらの事が浸透している。要するに歴史が有る。
能無しエディターの排除、新刊の発行を待つ。
2004年08月05日(木曜日)
#031.イイ香りのおじさんは好きですか?
最近、街をを歩いていて、整髪料の香りではない明らかにフレグランスの香りをまとっているスーツ姿のサラリーマンに良く出会う。身なりからは明らかに不似合いと思えるような男性から香る事も多い。これらの人は娘さん等からのプレゼントであると推定する。男性化粧品の売れ行きが好調なのは数年前から報道されているが、フレグランスの事に関しては最近になってやっと実感が沸いて来るようになった。
百貨店のフレグランス売り場に近づき得ない男性でも気軽に立寄る事が出来るドラッグストアでのフレグランスの充実が奏効している。狭い売り場でも対応出来るとあってエスカレーターサイドなどの極狭い売り場で展開している店舗も多い。
数年前発売された男性用ファンデーションは大コケした。明らかに”それ”と分かる様な化粧品は余程の冒険家でないと試そうともしないのだろう。
男性用化粧品においては「何気に」「さり気なく」というコンセプトは重要ポイントだ。フレグランスにおいても未だに”アクア系”と呼ばれるさわやか印象の物が売れているのもこれで証明できる。元々日本人男性は羞恥心が強く、確執を非常に嫌う。お国柄によって愛用されるフレグランスの系統が違うとの記事を以前見たことがあるが、非常にうなずける事象である。
新しい興味を持ち始めた今だからこそ、馬ニンジンではないが走り始めた馬を止めない様に、更に追いたくなるニンジン(高貴で高級品)と供給の場の開発が必要だろう。
2004年07月29日(木曜日)
#030.メンズは小物類の充実を図るべき
ファッションビル、百貨店でメンズショップに人だかりを目撃する事は少ない。元々レディスに比べてファッションに多様性が無く、気質的にも女性よりブームに流されにくいというのが原因として考えられるが、それを考慮に入れても売り場に集客の偏りは少ない。レディスでは必ずと言っていいほどワンフロアにワンブランドは盛況している。
街中を歩いていても、時系的に彼らのファッションに変化を感じることは少ない。メンズフロアにおいても”集客”に関し新しい発見が少ないので正直面白くないと言ってもいい。しかしアクセサリー、小物類、バッグに関しては様相は異なる。この中にはフレグランスも含まれるが、これに関しては次回のコラムで執筆する。
男性は”絶対的な強さ”に憧れる傾向が強い。この”絶対的な強さ”というのは壊れやすい物より壊れにくい物という事である。ファッションに関してはシルクよりコットン、服より小物という事である。時計に関しては数年前にG-SHOCKが、過剰な防水性を持つ時計も時代を問わず人気商品だ。
女性の時計、ジュエリーに対する憧れとは質が違う。女性はそれらに対して恒久的なイメージを持ち、所有すること自体に幸福感を覚える人が多いのに対し、男性は所有するだけでは飽き足らず”絶対的な強さ”の中に含まれる”機能性”も重要視する。
これを考慮に入れて彼らのファッションを見ていると驚くほど多様性もあり、変化の速度も女性のそれに拮抗する。
メンズショップを見ていると未だ小物類を軽視する傾向がある。”小物”だけあって省スペースに追い込むことが出来るが、ディスプレイの方法自体に疑問を感じることも多い。
メンズに関しては小物類の充実こそが集客の鍵を握っていると言ってもいいだろう。
2004年07月21日(水曜日)
#029.猛暑も涼しい水着専門店
今年は空梅雨でカンカン照りの猛暑が続いている。報道でも海水浴客は例年以上の盛況ぶりとの事で、エアコンの売れ行きも好調らしい。さぞ水着売り場も人の熱気で凄いだろうと予測していたら驚く事に現状は正反対であった。百貨店、ファッションビルの水着専門店を覗いてみるとガランとしている。外気の熱気からは想像もつかないほど売り場は体感的、心理的涼しさを感じた。
水着専門店は期間限定で出店する。消費者の認知度は低いと推定する。消費者行動は、水着がほしい→スポーツ用品店に行こう、となるのだろう。消費者にとって水着というアイテムはファッションというよりスポーツ色が濃い。これはファッションビル・百貨店側が水着を期間限定アイテムと捉えオフシーズンには一切取り扱わない事に起因している。海外旅行、スポーツクラブへの入会者が伸びている現在においては、サングラス同様、水着も期間限定アイテムではなくなってきている。
オフシーズンには売り場を縮小させるのはやむを得ないだろう。しかし、水着を”スポーツ用品”ではなく”ファッション”と認識させるためには、オフシーズンだからといってスポーツ洋品店にタスキを渡すような事はしてはいけない。
消費者が水着専門店に足を運ばないもう一つの要因は周辺アイテムが揃わないという点にある。ビーチで遊ぶのならビーチサンダル、パラソル、シート、日焼け止め、日焼けオイル等…。アパレルの販売現場では小物類の充実が集客力に大きな影響を与えるが、その事がそのまま水着売り場でも当てはまっていると言える。現状の水着専門店が出来る事はブランド開発と小物開発を同時に行う事である。
2004年07月14日(水曜日)
#028.百貨店の独自ブランド開発
百貨店では独自ブランドの開発が以前から進んでいる。阪急には「as you」として、大丸には「カスタマーズヴュー」として顧客の声を反映した独自ブランドが存在する。
ブランドの構築は以前から進んでいるものの、存在感は今ひとつ薄い。独自ブランドにインパクトが無いのは平場での販売が起因している。平場のノッペリした売場で展開するのではなく、他テナント同様、敷居を高くし百貨店独自店舗を造るべきである。
現在の百貨店においては取扱商品の独自性がほとんど無い。顧客は、百貨店が併設する意味を見出せないでいる。
独自ブランドを”顧客の声を取り入れているだけ”の曖昧なものにするのではなく、確固としたブランドコンセプトを展開し”押しの強い”ブランドを作らなくてはならない。
その上でセレクトショップのようにセレクトブランドのひとつとして「as you」、「カスタマーズヴュー」を取り入れるべきである。
大丸はローマ字の”DAIMARU”をモチーフに”D△I○”というロゴを作り、デザインのワンポイントとしてショッピングバッグに使っている。ロゴのデザインの良さからこのショッピングバッグは好評である。街中ではハロッズのバッグも良く見かける。これも成功事例といえるだろう。
購買客の中にはロゴマニアが常に一定数存在する。百貨店のそれと認識させるため、百貨店独自ブランドであることを前面に打ち出す為にもモノグラム・ロゴの開発、使用は不可避である。
大丸のロゴにはセンスを感じるだけに、現在の売り場、ブランド戦略に不満を感じる。
2004年07月07日(水曜日)
#027.バーゲンの困ったサン
6月末から7月の初めに掛けてあったサマーバーゲンに出かけた。
百貨店ではバーゲンに参加していないブランドもちらほら見受けられた。バーゲンに不参加のブランドはまったく活気が無い。入店客が少なく、店員が情けなく突っ立っているのを見て更に入る気を無くすようだ。大きい売り場面積を占有しているブランドでこれをやると、まるで合コンで話に加わらずに黙々と食べて自分の世界に浸っている”困ったサン”の様だ。バーゲンにしか来ない客は顧客ではないとでも思っているのだろう。筆者の感受性が強いのか、そのような店舗は”バーゲン目当てで来たんでしょ?”的雰囲気を感じてしまう。実際そうなんだが・・・。
自店の”お高くとまっている”的イメージダウンはともかく、周りを巻き込む”困ったサン”は大いに問題がある。百貨店のテナントの一部として”抜け駆け”は許さないが”不参加”も許してはいけない。これは先に執筆した百貨店におけるユニクロの進出の事例と同じで、百貨店内においては単に価格設定の高い安いで競争してはならない。
ファッションビルにおいては殆どこのような光景は見受けられないが、百貨店においては以前から良く見る。実に不思議な現象だ。
2004年06月30日(水曜日)
#026.カジュアル量販店の和装戦略コンセプト
着物業界には”井の中の蛙は井の中に居れば良い”という発想が未だ根底にある。この事は店頭を見ているとひしひしと感じる。着物をただ見るだけでも叶わない事が多い。店頭は何か特別な物を売り付けるが如く排他的雰囲気で威嚇しているようだ。ユニクロの浴衣はそれらに対抗する為の挑戦と曲解できる。今回のユニクロの和装戦略には、見る事もままならない”着物”を、買ってもらわなくても、とりあえず気軽に見て触ってもらうというコンセプトを感じる。
ユニクロの浴衣は3,800円という価格からすると驚くほど多彩である。レディス30、メンズは3、キッズは5の柄がある。
和装の機能美を全く知らない人の為の入門着としても最適価格である。今回のカジュアル量販店の和装戦略は着物業界全体に好影響を与える。和装の入り口を指し示したという点でも大いに意義がある。
現在浴衣で外出するシチュエーションは実質祭り位でしかない。室内着として作務衣を愛好する人は多い。室内着、年中着としての機能は夏場限定の浴衣を凌ぐ。
和装の入門着としての浴衣戦略はコンセプトとしてはすばらしいが、普段の生活の中で和装を楽しみ、それを定着させるという点では役不足だ。
作務衣にこだわる必要は無いが、ユニクロにはそれに準じた和装の開発、販売を望む。
2004年06月23日(水曜日)
#025.百貨店のユニクロ招致
先日、高島屋堺店にユニクロとABCマートが出店した。
踏み越えてはいけない垣根を軽々しく踏み越えてしまった感がある。
百貨という名目からすれば高級品から日常的な商材まで揃える事はさして問題なさそうに見える。実際、以前から仕事着で使うスーツなどでは2着3万で販売している。これは”仕事着(作業着、実用着)”としてのスーツであるから安売りしてもギリギリ消費者にも他のテナントにも許さていたのだろう。しかもこの場合は百貨店自身の平場である。
筆者は以前から無意味な差別化、細分化を無くせと論じてきた。しかしこの場合は違う。筆者は百貨店の平場にユニクロの商品を置くのは一向に構わないと考える。しかし、テナントとしてユニクロを招致してしまうと、歯止めが利かなくなる。在来テナントとしても決してプラスには働かないと見る。その事は消費者にとっても同じことが言える。ファミリーがユニクロ目当てで百貨店に押しかける風景を想像すればわかるだろう。スーパーの延長線上に百貨店は無い。ベクトルがまるで違う。言うまでも無いが、スーパーの進化系は大量生産による安価方向にある。百貨店のそれとは確実に違う。そのことを知ってか知らぬか、安直に集客力を求め、易々と招致した百貨店に痛々しささえ感じる。
2004年06月16日(水曜日)
#024.量販店のディスプレイセンス
消費者が危惧するのは街中で同じ服を着た人に出くわすこと。
大量生産で価格を抑える必要のある量販店に常に付きまとうジレンマで、ユニクロでは色数でそれを回避したこともあったが、振るわなかった歴史がある。数年前のフリース現象ではユニクロのフリースが大量に出回って、ユニクロでなくてもユニクロにみえ、それを嫌ってフリース自体を着ない人まで出てきた時があった。ユニクロに行ってみると、他の量販店でもありえないほど同じ服が山のように積まれている。本当に山のように積まれていて脚立でないと届かない所まで積み上げている。
消費者心理を代弁すると「これだけ山のように同じ服があると、さらに安っぽく見えるな」、「お目当ての服がこれだけ大量にあったら売り切れることもないし、今買う必要も無いな…」だろう。筆者も実際そうだ。ユニクロでは”売り切れるかも…”という切迫感に苛まれて買ってしまうというのが皆無なのである。
話は変わるが大規模家電量販店では大量にさばく商品は小分けにして販売している。関連する商品の裾に置くなどして。これは非常に良い方法で、一箇所に商品を積み上げると上述したように、商品が更に安っぽく見えて、売り切れるかもという切迫感も削いでしまう。安く良い物を探そうとしている消費者の探検気分も台無しにする。ワンフロアで広い店舗を持つユニクロでは非常に有効な手段だろう。アパレルの世界ではセットアップできる商品が多い。各店舗のセットアップディスプレイセンスが問われるが、小分けにして販売するだけでもかなりの効果が期待できるだろう。
2004年06月09日(水曜日)
#023.ファッションとインテリアは同カテゴリーとして収束していく
最近プラントショップ、フラワーショップがファッションフロアに進出しているのを良く見る。集客度も他店とそれほど変わらない。それどころか本題のファッション専門店よりはるかに賑わっている所もしばしばある。固定店舗としてプラントショップはもとより、移動できる屋台型のプラントショップの進出も激しい。コンビニエンスストアに観葉植物が置いてあったのには驚かされた。
観葉植物の価格帯は大体2000円から8000円程度のものが多く、ホームセンターなどで販売している同種の物から比べると何割か高い値段設定である。しかし、鉢などの付属品がファッションビルに付随しているだけにスタイリッシュで高級感あるれるものばかりである。鉢を別に買ってきて植え替えするという泥臭い作業を敬遠する人が買って行く。推測通り、店員の話からも手間の掛からない物から売れていくとの事。
今後、ディスプレイとしての観葉植物を兼ね、それを販売する店舗も出てくるだろう。顧客にとっても目の保養になり、店側もライフスタイル、トータルコーディネートの提案、限られた店舗面積の有効活用にもなる。
癒しを求める時代背景がこれらの現象に拍車を掛けている事は言うまでも無い。
2004年06月02日(水曜日)
#022.高度成長期を知らない世代
よく晴れた平日の昼間、とあるファッションビルの前を通りがかった。すると若い人、20前後の人たちでごった返していた。平日であることを忘れてしまうほどの活気である。
通りかかったのが午前11時頃で、服装から社会人とも思えないし昼休みに入っている専門学校生とも思えない。
彼らを平日の昼間に街中で目にするのは何の違和感も感じないのだが、ファッションビルで目にすると違和感を感じざるを得ない。彼らがフリーターであることは読者も容易に想像できるだろう。
彼らは当然休日も街中に溶け込んで消費行動を続けている。何が言いたいのかというと、一番の稼ぎ頭で金銭的余裕のあるアダルトより、金銭的に自立していないフリーターのほうが消費意欲は盛んだということである。
昨今、若い人達、特に10代の活躍が目立っている。プロゴルファー、作家、俳優…。
この年代は日本の高度成長期やバブル期を体験していない。この事で一つの世代を区切ることができる。”不況であることが当たり前”として育った世代なのである。だから彼らを見ていると悲壮感を感じさせない。ヨーロッパでは経済的に貧困な国が多いが、それを感じさせないほど陽気で、消費活動なくしても人生の楽しみを知っていると良く聞く。それに近い感覚を覚えた。
上述したようにこの世代に芸術家タイプの人間が多く輩出されているのも、このようなデフォルトが最大級のマイナス環境であるという土壌が彼らの精神に余裕を持たせ、それらの才能をどんどん伸ばせているのだろう。
フリーターであることが良いのか悪いのかを別にしても、日本人に欠けていたものを新しく持った世代であることは確かである。
2004年05月27日(木曜日)
#021.ホームページの大改装について
このホームページを開設してあと1ヶ月ほどで半年になろうとしています。この約半年の間にも新たに百貨店などの商業施設の大改装の計画が続々と発表されてきました。
直近では阪急百貨店うめだ本店が、大型化、立て替えの検討をしている。その他にも大丸百貨店大阪2店を2005年春から順次大規模改装を予定している。
これら立て替えおよび大規模改装は自主的なものではなく、すべて競合相手を意識して踏み切られたものと考えられる。
本当は立て替えも大規模改装もしたくはないのだが、競合相手がするから重い腰を上げようかという感じをどうしても受ける。開発や整備計画が競合相手から遅れ後手後手に回るほど消費社会に与えるインパクトは薄れ、本来の効果を発揮できない。
これらの話はどれも規模が大きいものであまりピンと来ないだろうが、例えはおかしいが”ヘアヌード”と同じといえる。今や男性週刊誌で載っていない物を探すほうが難しいのではないだろうか?
今から思い浮かべると青々しい時代だったんだなと物思いに更けてしまう程インパクト感は低くなってしまっている。
これらの事象と同じで先陣を切る者が最大限のインパクトを与え最大の利益を享受するのである。
これらの立て替えや大規模改装の話から自分のホームページの大改装へ話を持っていくのはいささかというか大きな無理がありますが、常に先陣を切るという意識の元、精進してやって参ります。これからもよろしくお願いいたします。
2004年05月12日(水曜日)
#020.小物やアクセサリーは小悪魔的アイテム
ビジネス街ではアンタイドスタイルはまだまだ少ないが、以前から比べるとニットタイをしている人をよく見かける。5月半ばでも晴天の日に外を歩くと汗が吹き出る。この時期のニットのイメージはいかにも暑そうに思うかもしれないが、タイの場合に限っては逆だ。通常のシルクタイは織目が極小さく通気性はほとんどない。ニットタイの場合は生地のボリュームを出す為にかなり粗めに編んでいる。通常のタイから比べると通気性が格段に良い。以前、硬い竹の素材を使ったタイを見た事があるが、ココまでの冒険は出来ないにしても、ニットタイならガチガチに凝り固まったビジネス街でも風景に打ち解ける事が出来るだろう。素材の冒険はともかく柄の冒険はよく目にする。近づいてみてみると柄がアニメのキャラだったり…。これがイイ歳を召した紳士がしていたりするとホッとしたりもする。このようなギャップはかなり好感が持てる。オトコの視点で好感が持てるのだから、女性の視点では更に期待大だろう。本来のキャラクターとは違う所を見せ付けられるとドキッとさせられる。特に異性には…。服、特に小物やアクセサリー類は使い方次第でキャラを大きく変貌させ、見る者を強烈に惹きつけることもできる小悪魔的アイテムだ。
遊び心のある人は例え相手が男性であっても話し掛けたくなる。
2004年05月05日(水曜日)
#019.悩ましいサンダル
半袖になる季節になるとサンダルが恋しくなる。歩き疲れてホテった足をなでる風が実に心地いい。毎年良いサンダルがないかネットや店頭をくまなく見て回っているが空振りに終わっている。最近のデザインは無理やりドレスダウンの方向へ持って行こうとしているように見えてならない。サンダル自体カジュアルアイテムなのだからデザイン性、細かいフィッティングその他快適性などは二の次で良いというデザイナー側の態度が目に余る。無骨でトイレで似合いそうなサンダルばかりだ。お子様が"トイレつっかけ"で街中を歩くのはかまわないかもしれないが、いい歳をした大人には無理だ。デザイナーの質に疑問を抱く。いまだにアッパーの素材はゴムや革ばかりだ。
最近はかかとの部分に支えのないものも多く、歩きやすさを重視する筆者にとっては益々悩ましい傾向だ。もともとサンダル自体車の運転には向いていない。かかとのないサンダルでは危険すぎてドライブには使えない。日常の生活行動を客観的に考察してみると、かかとに支えのないサンダルは購入リストにすら入り得ないだろう。ここ数年購買意欲をわかせるサンダルに出合っていない。異常事態といっても良い。友人も毎年同じ事を言っている。
2004年04月28日(水曜日)
#018.消費者に提案・理解・実感させる場がディスプレイ
サングラスは年中必須アイテムである。もはやサングラスは夏だけのアイテムではない。白内障の発症予防、美白のため…。百貨店はサングラスを夏のだけのアイテムと捉らえている。期間限定で特設コーナーを設けている。百貨店は常に客にとっての指針でなければならない。この事は百貨店だけに限らず、試着しなければ分かり様の無い物を販売している店舗全てに対して言える事である。にもかかわらず消費者へ提言するというスタンスのディスプレイが少ない。売れ筋だけをディスプレイしているだけと言う感覚だ。消費者にとっては店頭のディスプレイはファッション雑誌と同じで”提案・理解・実感”の場である。雑誌とは違い、実物をディスプレイする店頭においては直に手で触れさせ商品の良さを実感させる必要がある。
先日、自宅近くに大規模なショッピングモールが出来、ユニクロが出店していたので視察に出向いた。サングラスは全て990円(税込)。中には偏光グラスの入ったものも在る。偏光グラスと通常グラスの差異を見せる為に横に絵が置いてあり、それぞれのグラスを掛けて違いを実感させるようにしてある。消費者に実感してもらうと言う観点では最高の配慮だろう。
消費者に実感してもらう…これが疎かになっている売場は意外に多い。偏光グラスで990円と言う価格は破格なのだが、種類が少ないのが残念だ。
あるグラスショップの店員と話をしていると”メガネは着ている服、体型と合わせる為にも全身が映るような大きな鏡でメガネの試着をして下さい、まるで見え方が違いますよ”と言われた。正にその通りで、”メガネはアパレルの一つだ”と執筆していた自分を少し恥じた。このことを踏まえて他のグラスショップを覗いてみると、ひどいショップも結構ある。全身が映る大きい鏡がない所はまだカワイイ。中には手鏡だけを一箇所においてその手鏡を持って店内のメガネを試着してくださいとのたまうショップもある。グラスショップに手ぶらで来る人間は何人いるのだろうか?そのショップは更にひどく、価格表示が眼鏡のテンプルの内側に極小さく値札が貼ってある。身を乗り出して見ないと値段の確認が出来ない。あまりにも消費者を馬鹿にしている。ま、このショップのスタンスは価格設定からも価格を全く気にせず、試着も面倒なのでココにあるメガネ全て買い取ります的顧客を想定しているのだろう。言うまでも無いがこの店で購入客を目撃することは少ない。
2004年04月21日(水曜日)
#017.携帯時代における腕時計の存在意義
(時計をアクセサリーと捉える女性、機能として捉える男性)
女性側は時計を完全にアクセサリーと捉えている。彼女達は時計の機械的な部分、機能性などどうでも良く、問題はその時計が一般認知ブランド(ファッション雑誌で取上げられている等)なのかそうでないのかが重要なのだそうだ。そうでないものにお金をかけるのは”お馬鹿さん”と思うらしい。
男性は小さい頃から機械的なものや機能的なものに憧れる。筆者も例外ではない。時計に限らず機械の事に関して話し出すと止まらない男性も多い。デザイン・ブランドより性能・・・。こういう男性は未だに多い。稚拙な考察かもしれないが、こういう男性側の意識が技術大国日本と言われる所以だろう。
これらの事象を悪く言うと子供っぽい、虚栄心が高いといえるだろう。
筆者は腕時計を外して間もない。今から思い返してみると腕時計をアクセサリーとして見てみても許容し難い不快さがよみがえる。重い、シャツの袖に引っかかる、冬場は冷たく、夏場は不潔になる・・・。まるでジーパンのような言われようだが、実際そう感じる。今までは外出時に腕時計をしているのは当たり前の事で、存在意義を考えた事も無かった。”有るからさす”という感覚だ。この既成概念を振り払い、腕時計を外してみると、こんなに快適なのかと感心させられた。
一度どれくらいの割合でビジネスマンが腕時計をさしていないのかを観察した事がある。意外な事に、時間にシビアにならざるを得ないビジネスマンですら腕時計をはめていない人がちらほらいるのである。彼らは携帯電話に時計があるからささないと言う。先に述べた腕時計をしない事による快適性から見ても大いにこれらの事は納得できる。
腕時計をしないと言う感覚は、時計をアクセサリーと捕らえない男性特有の現象である。これらの男性の存在は時計業界にとっては実に悩ましい事象だ。
機能性を求める多くの男性消費者には、何らかの快適時計や、従来以上の、携帯電話にもついていないような付加価値或いは携帯電話に出来ない機能が必要になってきている。機能重視派の時計離れは確実に加速している。時計業界は岐路に立たされている。
2004年04月14日(水曜日)
#016.リクルートスーツはもうイラナイ
平日の昼間たまたま大阪でも有名なビルに出かける事があった。そのビルで就職説明会が有ったようで、リクルーター達はダークカラーのスーツに白シャツで会場へ押しかけていた。
以前と変わった所と言えば2つボタンより3つボタンスーツが増えたという事くらいか?大量の黒白の奴隷服・囚人服のおかげでまわりに咲き乱れる桜、フルカラーの風景がモノトーンに見えるほどだ。
会社側の責任もあるのだろう。会社のお偉い方は昔ながらの暗黙の了解的陳腐な発想で圧力を掛けたがる。
面白がってこの様な事を言ってはいけないのだろうが、面接は思いきってスーツ禁止にしてはどうだろう。普段着を垣間見てみるとその人物の生活態度や性格が驚くほど良く表れる。大昔にカジュアルフライデー的な見せ掛け倒しの制度が有ったが、普段着を会社の人間に晒して人格を疑われた人もかなりいただろう。それほどスーツはどんな着方をしても一応相手に対して失礼にならない服、隠れ蓑になる服なのである。
いずれにせよメンズアパレルの発展にはビジネスマンからスーツを脱がせようとする働きかけが絶対条件である。土日しか着る事の無いカジュアルに興味を持たせようとする事自体無理がある。
それでも平日、オフィス街を歩いていると、以前よりもアンタイドスタイルのビジネスマンに良く出くわすようになった。
季節は鬱陶しい梅雨、夏場に入っていくが、日本人の弱い”環境の為”という大義名分を利用し、省エネという観念からもアンタイドを取り入れる動きがあってもいいだろう。
スーツを脱がせタイを外させるという観点では役所の方が進んでいる。何ともモドカシイ。
2004年04月07日(水曜日)
#015.メンズインナーに女性モデル
グンゼBODYWILDの広告は女性モデルがメンズインナーを着て宣伝している。男臭さを極力感じさせない演出だ。今までメンズインナーに男性モデルを用いられていたのは極当たり前の事で、それらを当然のように許容していた。このBODYWILDの広告を見た後、今までの広告を思い出してみた。よく考えてみると、男性モデルが下着を着ている広告に少しづつでも胸の悪さ、嫌悪感を感じていたのかもしれない。なぜなら女性モデルがメンズインナーを着ているだけで清涼感、清潔感、スタイリッシュ性を感じたからだ。メンズインナーの広告でスタイリッシュ性を感じた事は今まで一度も無い。
幾ら男性モデルが清潔感を出す為に様々な演出をしたとしても、”オトコ”の視点からは決して心地よく映らない。
改めてそう感じさせる程この広告は新鮮かつ心地良い。
この様な広告の登場はメンズインナーが単なる”上着の下に着る衣服”ではなく、一つの衣服の存在として認められるデザイン性豊かなインナーが出てきた結果だと分析できる。
現在においても、未だ”3枚1000円で事足りる”的風潮が男性の中にまかり通っている。これらの風潮を払拭させ、かつ旧来の”下着”と交換させる為に更にデザイン上の進化、機能性の進化が求められる。広告という媒体はそれらを強烈に後押しさせるだけの十分な威力がある。
アウターのユニセックス化が進む中で、唯一の性差の象徴を誇示するインナーにおいて、異性をそのモデルとして使うアイデアは面白く斬新で賞賛に値する。かといって、男性が・・・・・・、胸が悪くなるので考えないでおこう。
2004年03月31日(水曜日)
#014.メンズジャケットのストレッチ化
先週平日の晩、春夏物のジャケットを探しに百貨店を何箇所か廻った。ある店員とストレッチ素材の事で話をした。何故春夏物のメンズジャケットにこれだけストレッチ素材が無いのかを聞いてみると、@素材レベルでひんやり感が損なわれてしまう点、Aポリウレタンを混ぜてしまうと素材の密度が増して通気性も犠牲になる、という答えが返ってきた。説明は理論的で非常に納得出来るものである。
色々見て廻っていると、J.PRESS(オンワード樫山)のジャケットは横方向にだけ最小限のストレッチを掛けた物で、素材のひんやり感が殆ど損なわれていない物だった。試着すると弱いストレッチにもかかわらずコットン100%のジャケットからは比較にならないほど動きやすいものである。結局これは買わなかったのだが。先の店員の明快な説明が霞んでしまう程、ストレッチとひんやり感、通気性が確保された物だった。
ストレッチ素材を毛嫌う”食わず嫌い消費者”がいるのも確かだろう。この事については後々執筆する。
逆に冬場はストレッチ素材にかなり助けられる。冬場の朝、コットンパンツを穿くのは拷問に近い。ストレッチ素材に心底感謝する。毎日の事だとかなりのストレスになるだろう。
ストレッチ素材は夏場に向いていない素材かもしれないが、J.PRESSのように極軽くストレッチを掛ける手法や、衣服の可動部にだけにストレッチ素材を使うなどやり方は幾らでもある。
その後で上述した消費者側の意識改革(宣伝)が必要となる。
ストレッチ素材(機能性素材)に関しては、消費者の好みを無視してでも製品化を進め、消費者を納得させるレベルにまで商品の質を上げるべきである。
”本当に良いモノ”が出来ると消費者は後からついてくるものだ。これは楽観論でも精神論でもない。ブランド物を着つつその機能性の悪さ、着心地の悪さを”高いブランド物だから”と潜在的な不満を持ちながら、やむなくそれを着ている消費者も大いにいることだろう。”不良債権化した服”と言えなくも無い。人の心理とはそういうものだ。
潜在的不満を持っている消費者の一部が使い易さや機能性に気付くと他の大勢が一斉に追従する可能性は大きい。
2004年03月24日(水曜日)
#013.ジーンズ供給の究極の形
ストーンアイランドデニムスから「パーソナライズド・ジーンズ」が発売された。(http://www.stoneisland.com)
これはジーパンに加工用サンドペーパーグローブが付いているものだ。世界で一本だけのオリジナルを作り出そうというものである。サンドペーパーで色落ちさせたい部分を擦り下地の色を出す。”アタリ”を出す為、ポケットに財布やらの小物を入れた状態でサンドペーパーを掛ける。
現在のジーンズ売場はユーズド加工が大半を占めているといっていいだろう。以前エドウィンから”ザイロン”なる強靭な繊維で出来たジーパンが発売され筆者も購入経験があるが売れ行きは芳しくなかったようだ。
結局消費者はコットン100%を望んでいる。
色落ちし、ほころび易いが強靭・・・
”はかないものは美しい”ではないが、ジーンズ業界では”異様に強いものは嫌われる”ようだ。
結局上記ジーパンもコットン100%でしか実現できない。
確かに夏場は汗で重くかつ暑苦しい代物になる。ジーンズファンは夏場の不快感を決して容認しているわけではない。デニムの独特の風合いを愛するファンにとって現状ではこの素材(コットン100%)しか有り得ないのである。自然繊維で出来ているという点も購入動機に大きな影響を与えているだろう。コットン100%でその風合いを保ちつつ軽快で動きやすく汗でベト付かない素材や加工法が開発されれば市場は瞬間的にその素材に席巻されるだろう。ジーンズファンは素材のこだわりと不快感のジレンマにまだまだ悩まされそうだ。
2004年03月17日(水曜日)
#012.最近のメンズバッグ事情
最近のメンズ雑貨の著しい変化にバッグがある。店内を見ていてやたらと目にするのがトートバッグである。女性でも違和感無く使えそうなデザインのトートバッグである。というか、トートバッグ自体元々女性のバッグとして存在してきた。最近になってそのデザインの優秀さから男性にも使われるようになってきた。中には時代背景か、ノートパソコンがそっくりそのまま入れる事ができるようになっているものも有る。鞄の間口の広さが受け入れられているようだ。
一度トートバッグを店頭で肩から掛けて鏡の前に立ってみた。プッと噴出してしまう程似合っていない自分が鏡の中に映っていた。むさ苦しい男にはトートバッグ向いていないようだ。最近街中でもトートバッグを肩から掛けている男性が目立ってきたが、彼らはやはり中性的で男臭さを感じさせないルックスである。バッグ界にもユニセックスの波が押し寄せているようだ。自分には関係の無い世界に思えた。
2004年03月10日(水曜日)
#011.消費税表示について
今年平成16年4月から価格表示は総額表示方式が義務付けられる。百貨店の店頭では2月の時点で既に代えられていた。
消費者にとって、店側が国に支払う消費税額などはどうでもいい事で、それをわざわざ表示(単なるジェスチャー)し、税抜き価格をあたかも支払い価格のように表示し消費者に誤解を招かせていた。
殆どの小売は税抜き価格を掲げていた。この様な悪習が当たり前のように今までまかり通っていた。集団心理の典型だろう。この事が放置されていた理由は、消費税導入当時、小売からの批判が強く、国としても”詐欺的表示”を黙認していたからだろう。これまでの表示価格は”本当の値段はこうですよ、消費税が価格を高くしているのですよ”と言う”単なるジェスチャー”でしかなかった。
この理論は確実に間違っている。なぜなら他にも事業主の所得税、自社店舗なら不動産税(固定資産税など)が、商品価格の何パーセントかに必ず上乗せされているのだから。そんな事を言い出すときりが無いだろう。
何気に理不尽かつ馬鹿げた理論でルールを定めていくと、結局そのしわ寄せは消費者に来る。
この規制が始まる前から税込価格だけを掲げていた小売は、その部分での競争(見た目の安さを犠牲にして、消費者の為に分かりやすく総額表示し消費者の利益を優先させていた事)を無理やり無いものにされたも同然だ。正直者が馬鹿を見るとは正にこの事である。
百貨店の店員と価格の新表示について話をしていると「消費税の価格を計算せずに済むから自分は馬鹿になるが、お客様に実際の支払い額を見てもらえるのでこの方がイイ」との声も聞かれた。結局の所、彼らも本体価格(値札価格)に消費税を上乗せして最終的な支払い額を電卓で見せる時、それらのギャップに少なくとも罪悪感を持っていたのであろう。彼らのコメントはその事をうかがわせるものだった。
2004年03月03日(水曜日)
#010.平日の晩、虚しいメンズフロア
週末、金曜の晩であってもそれほど状況に変化は無い。
疲れきったサラリーマンは仕事帰りに服を見ると言う感覚はまるで無い。9時まで営業(水木金土)している阪急百貨店本店は更に虚しい惨状である。他曜日は8時まで営業。仕事帰り、週末に近づけば近づく程寄ってもらえるように配慮した営業時間であろうが、現状は厳しい。
もちろんサラリーマンが疲れ果てて服を見に行く気にさえなれないと言うのも一つの原因としてあるだろう。しかし”今日はこの時間営業してたっけ?”と言う消費者も多いと推測する。こういう消費者は馬鹿に出来ない数だろう。筆者も実際そうだったからだ。ホームページで確認して初めて知った。結局こういう消費者の行動は確実性が無い限り出向くことはまずありえない。実質客を取りこぼしていると言っていいだろう。
もう一つ、店内に他の客がいない無人状態だと、気軽にウィンドーショッピングとはいかない。客数に対して店員が多いと落ち着いて商品を見る事は絶対に出来ない。時間帯、営業曜日によって集客度に格差があるにもかかわらず店員の数が同じだと、店員は客を威圧するだけの存在になりうる。客に威圧感を与えないようにするにはフレキシブルに店員の数を変える必要がある。
平日であっても夜遅くまで営業してくれる事は消費者にとって非常に有り難い事であるが、現状のファッションビル、百貨店の各メンズフロアはそれを最大限に発揮出来ないでいる。
ある店員がこぼしていた。早くていいですねと(仕事の終わる時間が)。
2004年02月25日(水曜日)
#009.店内の照明について
アパレルの店舗に限ったことではないが、店内の照明に懲りすぎて商品本来の色がわからない事が非常に多い。
買った後でその違いに驚くこともしばしばある。
特にダークグレーとブラックの違いには毎回苦労させられる。驚く事に、生地の色を店員に聞くと、店員自身が他の照明に照らして確認すると言う事もある。
もちろん生活している上で浴びている光の色は白色のみではない。単に昼と晩だけとってみても見え方は全然違うし、晴れと曇りでも違って見える。
店側は着用者が行くであろうシチュエーションを想定して照明に工夫まではしていないとは思うが、生地の色合いや風合いが見た目では分からない店が多すぎる。消費者を引き付ける為、様々な照明を使用し演出する事は確かに重要な事である。
服を販売すると言う大義名分がある限り、店内の照明と服への照明は同等、或いは服への照明が優先されなければならないが、殆どの店舗の現状は優先順位を誤っている。
デザイナー、クリエーター達の苦労を無にし、消費者を困惑させるようなディスプレイは極力避けるべきである。
2004年02月18日(水曜日)
#008.メールマガジンの難しさ(筆者の業務経験から)
大企業からの個人情報漏洩が良く報道される。個人レベルでその実感が湧くのは見覚えの無い所からの広告メールが届いた時だろう。
情報漏洩の報道がなされる度、アドレスの無断利用など、デジタル情報の扱いは非常に希薄な責任感の上で成り立っているように思える。これは管理者の良識に委ねるか自己防衛するしかない。
筆者もそのことを踏まえてメルマガなどを取る時は捨てアドレス(もし悪用などされた場合に捨てても構わない無料メールアドレス)を晒す。この捨てアドレスは幾ら無料であっても、新たに取得するには結構面倒な手続きが必要だ。
今まで様々なメルマガを購読してきたが、個人的に有効だと感じたのは購読新聞社の購読者にだけ配信しているメルマガだけだ。半有料ともいえるこのメルマガは内容も購読新聞と並列したもので、購読者の要求情報から大きくそれる事は無い。
その他殆どのメルマガは無用の情報(宣伝まがい記事)である。必要な情報をメルマガで受け取りかつ探すより、インターネットで探すほうが遥かに効率的であると思わせるほど、現在のメルマガと読者の間には要求情報の格差がある。
メルマガの殆どが人の目に触れずに捨てられるのは、
@インターネットの膨大な情報量の前ではメルマガはインパクトが薄すぎる、A上記のようにアドレスの不正使用を嫌う、B読者の要求情報との格差がある
この3つがが大方の理由だろう。
結局の所、現在のメルマガの利用価値は紙媒体の補助としての利用が一番有効ではないだろうか。例えば、自宅では新聞を広げて読むが、通勤電車の中では携帯に送られてきたメールを読むなど。
大手新聞社の中にも従来の紙媒体と平行してオンライン配信がなされている所があるが、デジタル書籍の拡充が進む現在においても、書店が"紙媒体の本は絶対に無くならない"と言い切るように、新聞業界でも上記の傾向が更に強くなったとしてもオンライン配信が紙媒体に取って代わる事は無いだろう。
配信チャネルの多様化によりそれぞれの情報内容の劣化や変化があるわけではないが、情報の受信側が生身の人間である限りデジタルへの移行は一本調子ではいかない。化石燃料を使う自動車と電気自動車の間にハイブリッド車が存在するように、必ず移行の過程にバッファとしての"紙媒体とデジタル媒体のハイブリッドなるモノ"が必要なのである。自動車のエンジンとは違い、人間に直に触れる物であるのでその傾向は自動車のそれに比べ更に顕著である。
よって情報の発信をデジタル配信にだけ頼るのは現在においてはまだ早すぎると考える。
人間側の完全デジタル配信の受入れはまだまだ長い過渡期が続く事だろう。
2004年02月12日(木曜日)
#007.ポイントカードが利用されない理由
ポイントカードが利用されない5大理由を以下に列挙する
1.特典を受けるまで高額の買い物をしなければならない
2.特典に魅力が無い
3.ポイントカードの有効期限が短い
4.ポイントカードにサービス内容、明記されていない。
5.固定ブランドを扱う店でポイントカードを発行している
1.に関して。やはり消費者心理からしても3万前後が限度ではないだろうか。それ以上になると、ポイントを集めようという気も失せさせる。消費者にとっては小額の特典であってもうれしいものである。小額の特典を小出しし、ポイント収集をさせる戦略が有効である。
2.3.に関しては言及する必要は無いだろう。
4.に関して。これは意外と見逃されている点である。世の中にはポイントカードなる物が多数発行されていて、財布の中はポイントカードの類で氾濫しているのが実情だろう。筆者の場合は印象に残るものは気をかけているが、そうでないものに関しては”財布に入れてはいるが出番が無い”という状態だ。やはり印象に残りやすいような簡単、明確、明瞭な記述や特典が消費者にとって使えるポイントカードになる。実際、ポイントカードが気に入ってリピーターになる事もある。
5.に関して。取扱商品に大きな差異が存在しないジャンル、例えば定番ブランドを幅広く扱っているカジュアル量販店、又は固定イメージにとらわれないセレクトショップもそうだろう。これらのショップはポイントカードによる強力なリピーター獲得ができる。消費者にとって代替がきくショップだからである。同業のライバル店舗も同じ事をするので両刃の剣でもあるのだが。
固定ブランドショップでは、そのブランドのエンスーにしか利用されないという欠点がある。
4.で述べたように両刃の剣状態を回避し、その進化形として、他店とタイアップしながら複合ポイントカードなる物が今後必然的に発生していくだろう。
2004年02月04日(水曜日)
#006.ファッションビルにおけるシネコンの底力
上階にシネマコンプレックス(以下シネコン)を構えるファッションビルに梅田E-MAがある。ヒット映画が上映されている時の梅田E-MA自体の集客度は、そうでない時に比べ数10%単位で上昇する。いつもは閑散としている店舗も人だかりが出来、普段の集客度を知る筆者はその光景を見ると異様ささえ感じる。もちろんヒット映画の有無だけがそのビル全体の集客度の鍵を握るわけでは無いが、この集客度の大幅な上昇を見ているとやはりシネコンの存在感は大きいと言わざるを得ない。
その点、定番店舗(ワンフロア全体を使う大型店舗で、生活雑貨などを扱い、対象年齢や対象性別が無く、ファミリーにも需要の在る店舗)を上階に位置させる事も非常に効果的である。
阿倍野フープでは無印良品、ロフト。ヨドバシ梅田ではファイブフォックスブランドのスリーミニッツハピネス。HEPFIVEでは無印良品などがそれにあたる。これら高集客の定番店舗を上階に構えるファッションビルには、多種多様の消費者が集まってくる。各店舗にとって、対象外顧客にも店内を観覧してもらえる事になるので副次的効果は高い。
2006年に南海なんば駅前に建設予定のマルイビルにもシネコンが進出予定されているが、シネコンなどチケット売り場として広いフロアを有する場所は、待ち合わせの場としても最適で待っている人を退屈させない空間でもある。
ファッションビルにおけるシネコンはヒット映画効果だけにとどまらず、人をひきつける魅力ある有難い施設である。
2004年01月28日(水曜日)
#005.メガネ業界のタイアップA
日中の紫外線対策としてのサングラスや、パソコンのディスプレイによる眼精疲労対策としての予防医療的メガネ、ファッションとしての伊達メガネ…。メガネショップというカテゴリーに関しては目の良い人が来る可能性が幾らでもある。筆者もそうだが健眼者の立場で現在のメガネショップを見てみると、リピートしたくなるショップは殆ど見当たらない。3プライスショップや格安メガネの登場はメガネを気軽に買い換える事のできるアイテムに変え”目に着せるファッション”と捉えさせ、着替えるという習慣を浸透させた。しかし依然として店頭は目の悪い人を対象、医療性を前提にしている。それを感じてか健眼者も店内に入ろうとしないし、ショップ側も拒絶傾向にある。ショップに出向いて健眼者であることを伝えるとスーッと引いてしまう。
価格やメガネのバリエーションの選択肢を広げたのなら対象顧客も広げるべきである。健眼者が気軽に入れるような店頭造りが急務だろう。未だ購買意欲のある健眼者を囲いきれていない。
アパレルのユニセックス化、クロスカテゴリー化がそうであったように、メガネショップもクロスカテゴリー化が進化の過程にある。ファッション性を有するメガネ業界においてはアパレルとのタイアップがクロスカテゴリー化の近道ではないだろうか。ブランド単位ではすでに存在しているが、販売チャネルレベルでタイアップすれば健眼者の消費意欲も刺激されるだろう。そのためにはメガネがアパレルの一つのアイテムであると主張し、理解させるようディスプレイを変えなければならないだろう。
ファイブフォックスはヨドバシ梅田にファイブフォックスブランドを展開しているが、メガネショップのコムサオプティークは独立させるのではなく、それぞれのフロア、ブランドに似つかわしいメガネを取り揃えるべきで、そうすれば相乗効果も発揮されるだろう。検眼など専門性を必要とするものは一箇所に設置すれば事足りる。
このカテゴリーにおいて目の良い人、悪い人の細分化はもともと不必要なもので、そのような既成概念は更に見直されるべきである。
2004年01月21日(水曜日)
#004.メガネ業界のタイアップ@
近頃盛況しているメガネショップを殆ど見かけ無い。3プライスショップや格安メガネの登場は、消費者にメガネ本来の正常価格を認識させた。これらのショップがオープンした当初、メガネショップとしてはかなりの集客があったが、現在では落ち着き放っている。
他業界では異業種間のコラボレーションが盛んに行われている。2003年の暮れには三城が百貨店インショップの進出が報じられたが、そろそろメガネ業界も異業種とのタイアップが必要ではないだろうか。メガネ業界自体、特有の専門性、医療性を有して例えば店舗の融合などは難しかった。このことについては次回触れる。最近では”アイウェア”として医療性よりファッション性を前面に打ち出す戦略に出ているショップが殆どである。この事実は極自然な進化で、この進化の延長線上に他業界でも盛んに行われている異業種タイアップが存在する。
今や殆どの業界で聖域なる物が無くなってしまった。未だそれらが存在する業界があるが、衰退の一途をたどっている。”新しい物を取り入れるより古い物を捨て去る方が難しい”と言われるが、かつてのメガネ業界も特異な専門性からこれらの悪しき伝統を色濃く残していた。聖域価格を打破し、活気付かせた経験は更なる進化の上で重大な意味を有している。今後メガネ業界の生き残りには異業種タイアップが必須事項となってくるだろう。
大壁は壊された。後は仕切りを壊すだけである。
2004年01月14日(水曜日)
#003.商品を手に取れない季節
季節柄、暖房の事について以前から感じていたことを記す。
筆者はこの季節、店内に入ると、片手に上着、もう片手に鞄を持つ。そして店内を散策して・・・
気になる商品がある⇒手にしようとするが両手が塞がっているからやむなく鞄を下に置くが不安定な鞄だから軽く足にはさむようにする⇒狭い店で他の客が後ろを通ろうとする⇒足にはさんでいる鞄が邪魔だから持とうとするが、商品を持っているからアタフタする
冬場はいつもこの構図である。女性なら更に持ち物が多いだろうから商品を両手に持ってじっくり品定めと言うのは実質不可能だろう。両手が塞がっていてはショッピングする気にもなれない。熱気あふれるバーゲンなら更に追い討ちをかけるだろう。客が自分の持ち物でアタフタしながらショッピングしている光景は昔から変わらない。この季節特有の伝統である。
コートを脱がないといけないのは仕方ないだろう。それでも暑い事が多い。現実問題として不可能(従業員の制服などで)であるだろうが、コートでさえ脱がずに済む空調がベストだろう。バッグなどは殆どがぶら下げるものだから、上着を脱がずに済むだけでかなり両手が自由になる。ここまでは要求しないが、殆どの人が立っているような場所(食事する場所など座る場所、上着を置くことが出来るような場所以外)では極力暖房を抑えるべきである。この程度の事であれば今すぐにでも実現可能だろう。エコの観点からもこの意見を愚考だと反発する人も少ないだろう。早急に改善してもらいたい。
この季節のショッピングは肩がこる。
2004年01月07日(水曜日)
#002.ホームページ開設にあたって感じてきた事
このホームページを開設するにあたり参考にする為、アパレル関連のページを数多く見てきた。そこで感じたのが”アパレルはスタイリッシュであれば事足りる”という発想がホームページ上から滲み出ている点である。あまりに乏しすぎる発想である。
具体的にはFLASHでホームページを作っている点である。FLASHでホームページを作ってしまうと、動きがあり確かにスタイリッシュではあるが、操作性が犠牲となる。確かに”見た目の良さ”スタイリッシュ性はアパレルに必須ではあるが”魅せ”見せる為のホームページが閲覧性に欠けていては、あまりに馬鹿げている。”魅せ”は”見せる”のキッチリした土台の上にあるべきで、それらを天秤にかけてはならない。
それを知ってか知らぬか、放置しているサイトが多いのには驚く。最低ラインでもHTML専用の入り口は作るべきである。この事は先端性を追求する業界においては、旧態依然であり、恥ずかしむべき事象である。
2004年01月01日(木曜日)
#001.ホームページ開設のご挨拶
明けましておめでとうございます。ファッションビル研究所は本日、2004年の幕開け元日をもちましてオープン致します。
ファッションビル界では、ヨドバシ梅田の衝撃的なオープンを皮切りに続々と再開発予定が決定し、地盤沈下が進む難波地区でも去年なんばパークスがオープンしました。今後もそれぞれの地域で地盤沈下の食い止め及びより一層活気溢れる街造りの為の再開発が予定されています。梅田地区ではJR大阪駅の新北ビル(2011年春完成予定、三越百貨店入居予定)、心斎橋地域では現在工事中のそごう心斎橋店が2005年秋に14階建てのビルに生まれ変わり、難波地域では南海なんば駅前にマルイビルが建設予定、その他に高島屋大阪店の増床(大阪地域ではこの増床により近鉄百貨店阿倍野店を上回り1番広い売り場面積となる)、天王寺地域では2年前にオープンしたHoopの隣に近鉄百貨店が再び商業施設を建設予定。近年の再開発ラッシュ及び再開発予定には目を見張るものがあります。再開発による集客で街歩く人の流れが完全に変わってしまった地区。逆に再開発の遅れから本来の集客力を発揮できていない地域…。開発当事者にとっては死活問題で冷静に判断できなくても、第三者の視点、一般消費者の視点でそれらの事象を見てみると各ファッションビルの短所長所が容易に浮かび上がります。これからの再開発ラッシュを見守ることは私共にとっても、各マーケティング関係者、研究者、店舗開発業者にとっても格好の研究材料になるもので、非力ながらもこれら関係者の一助となればと思い本サイトをオープンさせて戴きました。
これから末永くファッションビル研究所をよろしくお願いいたします。
ファッションビル研究所 所長
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