ファッションビル研究所

2006年02月21日(火曜日) #112.「価格」もファッションのひとつ、心粋の問題

財界では、経済格差の問題が浮上してきているが、ファッション界では内なる美意識格差が確実に進んでいる。
毎日新聞によると、ブラジャー1枚が1万円を超す「高級下着」の愛用者が増加する一方、普段人に見られない下着を「実用下着」と位置づけ格安下着を購入する人も増えているとの事。
最近、筆者の目、男の目で見て、世捨て人ならず、女捨て人の増加を感じている。もちろん、女性の目から見て、男を捨てた男の増加の指摘もあるだろう。それは甘んじて受け入れたい。
が、やはりファッションと言う観点から見て女性のそれは際立っている。
男、女と交錯するが、男性のファッションは、過去10年と言うスパンで見てみると確実に底上げされた。低価格、高品質の量販店の台頭がそうさせたのは言うまでもない。
女性のファッションにおいてはそれは当てはまらない。むしろ「低価格衣料」がいつの間にか「実用衣料」へすり替わってしまっている。
女性の下着については、普段人に見られないという少々特殊なファッション性を持ち合わせ、心の内を映し出す衣料でもあると以前執筆した。
安いから、慎重に選ぼうとしないというのも、格安衣料の弊害と言ってもいいだろう。
ファッション性と価格は全く別次元の話と見る人は多い。大抵は、「高いブランド物でもダメなものもある…」と反論する。
ファッション性というものを改めて考えてみると、ブランド、デザイン、”価格”の3つのベクトルが存在しているとみている。
ブランドとデザインは正に外見。筆者は価格を心粋と見ている。
ファッション性に価格の話を持ち込む事自体抵抗を感じる人は多い。ちょっと考えてほしい。高い服を着ている時「高い服を着ている♪」という内なる悦びを感じたことは無いだろうか。
更に言うと、ワードローブをのぞきこんだ時、それぞれの服の値段が頭の中に入っているのではないだろうか。
電車化粧女に代表される、特定の日、特定の人にだけ良く見られればそれで良しとする心粋の無い風潮はかなり気になる。
格安衣料にその風潮の責任を押し付けるのは実に酷な話だが、因果関係は無いとはいえない。
いつの間にか「実用衣料」と位置づけられてしまう可能性のある低価格戦略は、ファッション界において得策と言えなくなってきているように思う。